gallery 手前勝手な自己紹介
「ACT 愛ランド」はあなたの町(平成10年10月10日)
相模原市の南東にある相南と言う町に小林みほ子はすんでいます。
ここに住んでもう30年になります。
引っ越して来たのは東京オリンピックの翌年でした。
当時の小田急相模原駅前は、広い空き地で、アメリカシロヒトリが巣を作っている桑畑でした。
その数は壮観でまるで蜘蛛の巣が桑の木を覆っ ているようでした。日本中に大発生した年でした。小田急相模原駅は小田急線相模大野駅の隣です。
基本的には、そんな相模原市の一部を
「あそこをよくしたい」
「ココを良くしたい」と
地域のお母さん達と一緒になって改善策を練り実行してきたのが、小林みほ子の 政治への開眼原点で あり、生き甲斐であったということです。
むろん、全ての活動は奉仕活動です。
その活動のなかで、教育も道 路も成人問題も高齢者の問題も、とりわけ、体と精神に異常をきたす環境問題については、今、取り返しがつかないほどの乱脈行政が行われているのを、知って し まったのです。
見える政治は無論のこと、見えなくても進行している環境の麻痺状態を、一時も早くただす ことが、必要なのです。そうしないと子供達の未来が危ない。環境問題は、そういう意味ではまだ気付いていただけない 問題なのでしょう。環境の小林みほ子、皆様と一緒に頑張らせていただきます。体 育指導員
東林小学校の隣に、東林公民館があり、この公民館がまだ古い建物であった当時、小林みほ子は体育指導員で した。この時相模原市の体育指導員の組織も躍進する寸前であり、小林みほ子は市においては広報部員として活躍、地域では幹事を受け、又、公民館では運営審 議委員を受けて地域開発のプランと新公民館の基礎創りを行いました。当時の形態が、 今も続けられ、公民館活動はさわやかに展開しているようです。時の公民館館長は坪井さんです。体育指導員の会報「第1号たいし」は、印刷指導をさせて 頂いて、発刊した 思い出深い冊子であります。
小林みほ子は当時小林誠林堂と言う印刷屋を経営してい ました。印刷の技 術を生かして地域奉仕活動を展開し、小学校では広報委員長、相模原市P連の初代委員長をうけ相模原市の広報誌の指導をしました。広報誌の原点である基本的 な広報誌の作り方を相模原市の多くの広報委員と作成し広く全国的に評価され ました。其れは、貼り込み式編集方法でした。おもしろい方法なのでご希望の方にはお教えできます。 相模原 市PTA連絡協議会
相模原市P連では、当時、読売新聞に大きく取り上げられた、少 年の非行事件(喝上 げ事件)に校外指導委員長としてたずさわり、非行に関する様々な悲しみを知り、沢山の改良 策を提案し、小林みほ子は非行と言われている子供からも、学校からも様々な相談を受けました。小林みほ子は捨て身で、安心な地域作りに頑張りました。この 時得た体験は、いよいよ教育問題の重要性を自己認識させ政治の必要性を決定的に感じさせてくれたのです。自治会活動の中で
昭和45年当時より、相模原市には道路の整備要請が相模原市に殺到していました。
その中で、どうしても舗装できない道路がありました。債権の入っている広大な道路分でした。小林みほ 子は、多くの地域の住民のたってのご希望によりこの債権債務を抱える道路の代表者となり、何とかして舗装道路にしてあげたいと思い精神誠意努力と協力を致 しました。しかし、なかなか債権者にご協力願うことは難しい問題でした。本当にこの道行程は泣きたいほど辛いことでした。しかし、とうとう 舗装できるようになりました。解決までの時間が長い道のりであったために、中森さんや運動を継続している人たちはまるで村八分状態にま でなったのですが、皆さんは歯を食いしばって頑張りました。いつも心の中で、負けてはならない、いま放置するとこの道路は狭いま ま完全舗装もできなくなると頑張ったわけです。
この道路は翠ヶ丘というところにあって、道路舗装が完全にできるようになった今でも、ココを通ると、あんなに一生懸命で頼んだ多くの人が、ある時豹変して 敵の様になってしまった時の悲しいひとときを思いだすのです。この道路問題を解決するとき小林みほ子の 提案で相模原市の道路行政が一つ変更されました。それは最低舗装単位の砂利舗装を、アソファルト舗装とすることでした。この協力をしていただいたのは当時 の相 模原市長舘盛さんです。地域の皆様に支えられ、小林みほ子おは相模原市の環境を本当に考 える人たちの温かい支援をえて、立候補いた しました。環境とは一体何でしょうか。泣きたくなるほど正したいことがいっぱいあるのに置き去りにされた政治関連問題は山 積みです。小さな命を育む為に一時も早く環境を正さない限り、汚れはまるで赤字国債のように制限無く広がっていくのです。支援して下 さった多くの方々に心の底から感謝申し上げお役に立ちたいと思っています。何卒宜敷お願い申し上げます。
国際親善活動
小林みほ子は相模原生協から選ばれて、神奈川生協の国際交流委員会の初代委員長になりま した。そのとき多くの留学生と交流を図り、海外の青年が本当に日本に来たがっているのを知ったのです。神 奈川生協主催の第一回の国際交流クリスマスパーティーでは、約三百人の人が協力して本当の意味での国際交流とは何かを話し合い心の中まで開 いた討議をくり返しました。そのとき留学生委員長をしてくれたのは横浜国大の唐君でした。写真は小林みほ子と研修生。
相模原市のスポーツ少年団
相模原市のスポーツ少年団の常任委員を現在しています。相模原 市の新体操の草分 けの部類に属しますので、お世話させていただいています。新体操の大会は、スポーツ少年団はまだ3チームですが、このごろは、本当にびっくりするような演 技を難なくこなす少女が沢山います。しかし、私は正当な新体操を目指し、子供に過酷な試練を与えるには 小学校時代はまだ早いと思いますから基礎を非常に重視し、大きく育てようとしています。下の写真はスポーツ少年団新体操大会で本部役員の挨 拶をしている小林みほ子です。東 林新体操クラブ
東林新体操クラブは、 神奈川県の体操協会理事の先生の肝いり で時の新体操を リードしていた東京女子体育大学の新体操部キャプテンである大谷先生を第1代の先生とし て発足しました。
このとき、秋山えりか先生に新体操の指導をしていただいたのです。
それからすでに20余年になります。子供に過激な体操ではなく、努力すればのびていける体操を広めることは、今後も相模原市に必要なことだと思います。
新体操の良いところは、リズムに乗ってより美しく身体を表現することで、成長 期の子供に負担を かけず、しかも目指す先はオリンピックまであるという「希望にあふれる種目」であるというところです。
子供達は各種目で優勝を初めとして入賞を多数はたしています。
現在の指導者は、上野先生(生え抜きの先輩である。)岩田先生(国士舘大学4 年生。) 先輩の 千洞田先生と代表指導者の私があたっている。父母会の会長は川中さんです。
現在も東林小学校で新体操クラブを開催しているので是非お子さまの楽しい夢を叶えてあげてください。お 申し込みを受け付けます。下の写真は、十年前の、少女達を指導中の小林みほ子代表指導者です。各指導者は新体操の指導ライセンスをもってお ります
小 林みほ子の著作活動
「あ なたもUFOに乗ったでしょう」オレンジ出版昭和62年はじめて、出版したのが「あなたもUFOに乗ったでしょう」と いうかわいい空想科学小説の本でした。これは、三ヶ月で三千冊売れたそうです。小林みほ子はこのとき小説家の項目に登録されておりました。情勢通でなかっ たのでこの記録がベストセラーの域まで行っていたのを知らなかった訳で、タイミングをずらしました。再起を図っています。
二千年、世紀末、21世紀を経て、希望に満ちた未来を信じる内容の 話であって、こ の話のきっかけは、安易に捨てる命について、命が何故大切か、「あなたは、ついでに生まれた命では無いよ」とむすぶ。超古代と超未来を合体させた、読んで いる人が主人公の小説です。なにやら分からない人は東林公民館の 図書室でご覧になってください。
相模原市「グリーン カップ少年野球大 会」
出 場チーム募集相模台少年野球大会は三十年の歴史を刻んだ野球大会でし た。この歴史はと ても重いものがあります。今東海大学付属高校の監督をしている人や、プロ野球の選手の中にもこの大会でハイライトを浴びた人がいます。小林みほ子はこの大 会に役員として参加し関わってきました。、
「今ではよいお父さんになっている人」たちが、この大会のことを語っているのを聞くとき、嬉しくて、本当に歴史ある大会をつなげて良かったと思うのです。
今回、この相模台少年野球大会は「相模原市グリーンカップ少年野球大会」として神奈川県 の小学生を対象に大きく生まれかわりました。
この大会の代表として、歴史と栄光をばとんタッチし、少年の健全な活躍の場「軟式野球大会」を提供し続けていきたいと思います。この大会は、今、参加チームと後援団体をもとめています。沢山の応募を待っていま す。
次の大会は12月24日を予定しています。参加希望者はメールでお申し込みください。後援会は現在、相模原経済新聞社、神奈川倫理法人会、カルピスの各位 がご協力頂く予定になっています。又、潜在的には、東海大付属相模高校に絶大なご協力を頂き、又、東京大学、早稲田大学の野球部のご協力を頂く予定です。 (下の写真は沢山の先輩、お父さんお母さん監督コーチの温かい拍手の中優勝旗を手渡す小林みほ子です。いつも、子供の大会は優しい大人の心でいっぱいで す。)
(有) 誠林物産
小林みほ子は、誠林物産と言う会社の代表取締役をしています。
この会社の前身は、印刷屋の「小林誠林堂」です。
当然印刷をメーンに活動していましたが、外国人の留学生や研修生のかかわりから、貿易を主体に活動を展開していくようになりました。